投稿

6月, 2023の投稿を表示しています

子どもの様々な状態像―概念の発展と臨床の実際

 さて、前回の記事からだいぶ時間がたってしまいましたが、今回はタビストックで行われた講義とセミナーシリーズの48-55ページ、「自我における切断」というタイトルの下にまとめられた部分を取り上げます。元の文献はこちらです。 Meltzer, D. (1960/1994)Lectures and seminars in Kleinian child psychiatry. Sincerity and Other Works. Karnac. London, 35-89. この中の48-55ページ、「自我における切断」を取り上げます。一つのタイトルにまとめられていますが、単一の疾患や障害を取り上げているというよりは、当時は分類困難だった様々な子どもの状態像を一挙に取り上げているというセクションです。 では、まず要約してみましょう。 ****************************************** メルツァーは、ここで取り上げる子どもたちのことを、精神病部分の分裂排除とは違って、パーソナリティの悪い部分や病んでいる部分を分裂排除するのではなく、むしろ発達プロセスや自己の価値ある部分を分裂排除するのだと表現しています。典型例としてイディオ・サヴァンが挙げられていることからもわかるとおり、各機能や特性の発達が一様ではなく、定型的な発達を想定している限りは理解が難しい子どもたちを念頭に置いているようです。 メルツァーが最初に取り上げているのは、「知的制止」や「境界線」、「精神遅滞」、軽度であれば「本当はもっとできる子」などとして紹介されてくるが、実際には知的制止ではなく分裂過程の現われであって、学校環境が母親の身体内部と同一化されて興奮を生じ、学ぶ能力を使えなくなっている子どもたちです。教師は彼らが学んだのかどうかよくわからない、などとされています。 (現在で言えば、学習障害を始めとする認知機能の偏りのある子どもたちでしょうか。分裂過程だと言っているのは、実際に分析で改善したケースがあったからでしょう。おそらく、先天的な認知機能の問題を理解されずに環境との摩擦で増悪した二次障害の部分に分析が効果を発揮したのでしょう。学校という状況の理解が難しく、教師がコミュニケーションの接触感を持ちにくいという意味では、自閉的な子どもも含まれていそうです。) メルツァーは次々